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自閉症スペクトラムに関して学び始めてまだ数年しか経っていませんが、 日々色々な発見等があります。記事中には個人的見解も多く含まれ他の方には当てはまらない部分も多いかと思います。しかし、私個人としてはなるべく偏見を持たず大切な友とより良いコミュニケーションを目指しています。 但し、一人で悩み考えているのは時には非常に辛く、同じ経験をされている方、当事者の方達と情報交換等が出来れば嬉しいです。 最近は、残念ながら私自身がカサンドラ症候群の症状に悩み始めています。 記事に対してのコメント(非公開も有り)、メールフォーム等でお気軽に声をかけて頂ければ嬉しいです。よろしくお願いします。*障害等に対する誹謗中傷等、宣伝・勧誘等はご遠慮願います。

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友達の意味、関わり合い方とか...色々考える


何かあった時にふとVがよく口にする言葉...


"私、友達がとても少ないの..."


まぁね、私とVとは世代的にもかなり違うし、
元々の価値観、感覚的な所とかもかなり違うから...

でも、Vの言っている事も全く理解出来ないわけではない。





確かに自分も若かった頃の感覚としては...


"友達が多い方が色々と楽しいかも知れない..."


漠然とでも、そう思ったとしても間違いでもない。

ただし、年齢を重ねていくうちに、
そんなに多くの友達、特に一般的に親友と呼べる様な
特に自分に近い人は、そんなにいないと言うか、
出来なくても、"それが普通...当たり前"と納得出来る様になる。

それは、まず年齢的にも仕事や家庭、その他にも
若い頃と比較すると責任も出て来るし、
時間的制限とか...体力面でも然り。


要するに、色々と多方面に渡り重要事項が増え、
それに対しての責任も大きく、気力的にも、
体力的にも全てに対して全力投球は難しくなるって事...(^^;


なので、それぞれの事にどの位時間的、労力的に割くか!?
割合を決め、上手くバランスを取りながら生活して行く。
物事に優先順位をつけるという意味にもなるかな。


そういった所のペース、時間等の配分等がASD系の人達には
より難しい所があるのかも知れないね...!?


友達に関しても、小・中・高などの学生時代の様に
学校等での生活が1日の大半を占める状態での交友関係とは
かなり変わり...
大人になると、忙しくても、しばらく会わなくても関係性は変わらず
何かあると、その会えなかった時など何の障害にもならない位に
自然に何も気兼ね無く話が出来る存在が大切になってくる。

もちろん、そこまで行き着くまでには、
学生時代での付き合いの積み重ねを通して
育んだお互いへの理解や信頼があるからこそっていうのも
あるのかも知れない。
当然、それは学生時代に限らず、その友人とどれだけ
内容の濃いやり取り、経験を共にしたか!?っていうのが重要。

そういう経験等を共に経て、その友達の存在が
自分の生活形態の変化にも影響される事無く、
ずっと自分にとって親しい存在でいてくれるのが親友。

私の理解の中では、親友とは...そんな感じ。

良し悪しの問題ではなく、
表面的な感覚として、

"自分の生活形態の変化にも影響される事無く、
ずっと自分にとって親しい存在でいてくれるのが親友"


この部分だけに焦点を当てたとすると...
VとかASD系の人達とは、本人達が"この人は親しい友達だ!!"
と認識してくれた場合は、本人達の意識としては、
大きな変化も無く、余程の事がない限り親友だと
思い続けてくれる様な感覚は私にはある。


多分、ここの認識の仕方と実際の付き合い方(行動として!?)
微妙に定型系とASD系との間でズレとか違いが生じてしまっている!?
双方共お互いの事を大切に思っている事には変わり無くても、
表現の仕方などが違ってしまい、お互いに認識し難いのかも!?


とにかく自分の人生の中で、

1人でも親友と呼べる人がいたら、
それは、かなり幸せな事だというのに気づくし、

(ま、中には2人とか3人いる人もいるかも知れないけど...)


もちろん、これは私の価値観の中での考えであって、
それが正しいか、間違っているかという問題でもない。
ある程度の年齢に達した自分の周りの人達と話をすると、
かなりの多くの人達が同じ様な考えでいる様だという話。
(私の周りは...という事かも知れないが)


しかし、"Vがいう友達"っていうのが...


私からするとあまりイメージ湧かないと言うか、
どういう関係性を指しているのかわからない時がある。


例えば、私の中では"友達"と言っても、
色々な関係性があり、それぞれ親しさの度合いも違う。
ある程度自分の中でもその友達はグループ分けされていて、


1.) 親友=何でも話せて一番信頼出来る人。
時には家族と同等になる事も...
お互いに自然体でいられて、一緒にいても苦にならない。
あまり気を使わなくても良い←もちろん暗黙のルールは存在する

2. )普通の友達=仕事や他の問題や趣味、興味を共有、
プライベートで食事に行ったりする関係。色々話しも出来る。
但し、ある程度気は使うし、自分のプライベートや秘密等は
全面的に開示するまでではない。

3. 知り合い=職場で挨拶する程度←友達とは言えない



私にとっては、1の親友はかなり特別な存在。
本当に掛け替えの無い人で、すごく大切。
現在は...私にとっては、1に値する人は...
1人、あともう1人と言いたいところだが...
今現在はその人は微妙な位置にいる感じ!?
それが誰なのか、皆さんはご想像出来ると思いますが...(^^;
(それでもかなり特別な存在である事には変わりは無いけど)

私は日頃は、このグループ分けを元に、
話の内容、どこまで話すかとか、行動的にも、
どこまでするかなどを判断して人々と関わっている。


円グラフ


私の場合は、知り合いと友達の間位の位置にいる人に対して、
親友にする様な事と同等の事は出来ない。

非常に分かりづらいので例え話として、


親友だったら、何か落ち込んだり、困った事があった時、
その親友が夜中に電話で話たいとなれば、
可能な限りスケジュールを調整して、
話せる時間を何とか捻出する努力をする。
時と場合によっては、親友の元へ出向く事もある。


それが知り合いと友達の間位の関係性となると、
親友に対してならば出来る事でも、
残念ながらその人に対しては無理となる。


この差は非常に大きい。


先日のXXさんの話は...
なぜかXXさんの認識の中では、
私は親友、或いは友達としてでもかなり親しい人達
に対する態度をXXさんからは求められ、
私の方は、

"ちょっと待った、そこまで私達は親しくないだろう...!?"

と双方の認識の仕方がかなりズレてしまっていたから、
こちらとしては、非常に不快な感覚に陥った。

XXさん的には、

"私達は友達なんだから、その位大目に見てくれるべき"
"相手は私に合わせてくれるべき"
"ムゥの他の友達にもそうしているでしょ!?"


それを態度や言動で表し、要求して来た。


これが双方の友達としての認識が合っている場合は、
何も問題も無く自然に受け入れられる事なのだけど。


ここでXXさんは、残念ながら私とXXさんの関係性での
境界線みたいなものを見誤ってしまっている。

よく特性として他人との境界線がよくわからない...

と聞くけれど、
それが私にとってかなり近い存在のはずのVとでさえ、
その距離感が上手く測れずに不快な思いをしてしまう事が
ある位なのに、Vとは比較にならない位に関係性として
薄い(優先順位として低い)人に同様の対応を望まれても、
それは無理な事だし、私は対応したくない。


その時に何が起こったか!?
どうしてそういう状態になったか!?


あくまでも私の推測、仮定にしかならないが、


普段の諸々の状況の中で、
例えば私とXXさんが仕事の合間に一緒に食事に出たりして、
ついでに買い物をしたりした時に、


Vや私の親しい友人達が好きな物などを見つけ、
それを買ったりして...


XXさんが、


"ムゥって、そういうの好きなんだ...!?"

と聞かれ、


"これね、Vが好きなんだよね..."
"だから、今度あちらへ行く時に持って行くから..."



その時にXXさんは、


"そういう関係っていいな..."
→ "私もそういう関係になれるといいな..."
→ "私達もそういう関係だ"



いつの間にか認知の歪みからか...!?
自分が"いいな..."と感じた瞬間は、私とVの関係を見て感じた事だが、

"ムゥは仲が良い友達にはそういう事をする"

"私もVとは友達" → "だから私もそうしてもらえる"


そのうちにXXさんの認識の中では、XXさんに都合の良い様に
それがあたかも事実である様な認識にすり替わってしまって
いるのではないかと思える。


事実としての情報にXXさん本人の願望が加わり、
XXさんの願望が事実としてすり変わる現象。



"そこに他人と自分は必ずしも同じではない"
"自分の立場と他の立場は違う"



想像力の欠如、認知の歪みからかな...!?


************************************************************************************************************************************************** 


Vの話に戻るけど、


日頃私がVとの関係でよく思う事。


Vの場合は、とてもVにとっては親しいであろう友達に対してと
SNSなどで表面的な軽い、知り合いに近い存在との差が
表面的には違いとして出て来難い。


Vにとってどちらの方が大切か、親しいかとか、優先順位的に
どちらを優先すべきかというのが態度や言動として
相手方には非常に分かり辛い時が多い。


私の感覚的な例え話として、


完璧な作り話で実際のものではないのだけど...(笑


Vがパン屋さんだったとする。(あくまでも仮定)
Vはとても美味しい食パンを作る。
そのパンは1日に50斤しか作れない。

その食パンを手に入れたければ、
早くお店に行って待たなければいけない。
とにかく50斤で1人1斤ずつ。
50人までに入らないと食パンは買えない。

その食パンを焼くには、質の良い小麦粉が必要。
私は、わざわざ海外から飛行機代と時間をかけて
そのVの食パンを手に入れに行く。
しかも、食パンを焼く為の質の良い小麦粉持参で。

しかし、そこまでしても50人までに間に合わなければ、
私もその食パンを手にする事は出来ない。

状況としては、非常に平等で明確。
とにかく50人までに入れば食パンを無事に買えるのだから。
それが食パンを買う為のルール。


それが悪いか!?
ルールに則って食パンをその日50人までに並んだ人に売る。
パンが売られるのが朝なのか、昼なのかは重要ではなく、
とにかくお店にパンが売り出される時間帯に
50人目までに列に並べば問題無くパンは買える。
とても明確で分かりやすい。

じゃ、私が海外からわざわざその食パン為に来たというのは...

ここに人間関係の便宜を図るとか、
融通を利かせるとか、表面的にはASD系の人には分かり辛い事が
隠されているのだと思う。


自分の大切な友達(ムゥ)がわざわざ海外から自分の食パンを買いに来る。
自分もムゥに食パンを食べて欲しいと思っている。

では、どうしたら良いか!?


一番問題が無いのは、ムゥがその日50人までに並べれば、
問題無くパンを買う事は出来る。
(忠実にルールに則って...)

但し、恐らく定型の人達はこの方法を取らない人が多いと思う。


その理由として、


・自分にとって大切な友達
・海外から時間と費用をかけて来てくれる
・パンの材料も持って来てくれる
・自分はその材料でパンを焼く
・自分も友達に作ったパンを食べて欲しい



確かにルールはある。
ルールは守った方が良い。

他のお客さんは、

・毎日欠かさず列に並んで買ってくれる人
・たまたま通りがかった人(リピートしてくれるか!?)


ここで親しい友達とお客さんを同じレールに乗せてしまうから、
無理が生じてしまう。


"自分もムゥにパンを食べてもらいたい気持ちがある..."

   ↑   ↑   ↑
この気持ちがある事、これ重要ね...


そこで、


"ムゥにも食べてもらえるにはどうしたら良いか!?"


問題解決の方法を考えた方が良いのだけど、


"50人までに並ばないと買えないルールがある"


というのに既に思考が雁字搦めになってしまっている。
代案があるというのに気がつかず、
あったとしても、不安だからしたくない感じ!?


対応策として...

ア)一斤、或いは数斤余分に焼く
イ)50斤から1斤を既に確保しておく
ウ)家族や友達に代わりに列に並んで買ってもらう
エ)家で別にパンを焼く
オ)状況をムゥに説明して納得してもらう

他にも色々な代案があると思うけれど、
恐らく多数の定型の人は、アかイの方法か...
最悪エあたりの方法で落ち着くんじゃないかな!?


そうする理由としては、
自分にとって大切な友達が遠方から来てくれる。
そこにはパンを買いに来る目的よりも、
"Vに会いたいから"っていう理由の方が大きい。
膨大な時間と費用をかけて自分に会いに来てくれる人に対して、
最大限の歓迎の意を行動と言動で表示するのが
定型ではとても大事とされ、それを見て、感じて
お互いの親しさの深さを再確認したり、
良く対応してくれた事が良い思い出となり、
さらに2人の関係性を先々深めてくれる。

そこに親しい友人と通りがかりのお客さんとでは、
明らかに関係性としては、違うはずだし、
極端な選択をするとすれば...
親しい友達の方が大切であるのは定型的にはすぐに理解出来る。


ところが、普段、私とVの中で何が起こっているかと言うと...


ムゥは50人目までに列に並ぶのに間に合いませんでした。
だから、パンは買えなかった。
買えなかった事でムゥはがっかり呆然としている。


そこでVは、"ムゥががっかり呆然としている..."
その状況が良い事ではないのは感覚的にはわかる。
"パンが買えなかったから..."っていうのもわかる。


状況的に良くない...


それも感じて理解はしているけど、

"良くない事が起こっている..."

と感じた段階で、既にその状況だけに支配されてしまい、
その感情だけで頭の中はグルグル...

"どうしたら良いか!?"

までには思考が辿り着かない。
仮に私の方から、対策、解決案として、


"ア、イ、ウ、エ、オの様な解決方法があるよ!?"


と提示、提案したとしても、
いつものルーティンとは違う状況なので、
優先順位として、そこに新しい解決方法として、
組み込む事も、順番を入れ替える事も難しい。


V本人としては、


"いつもの流れと違う事は対応出来ない..."


始めから、

"それが可能であるか!?"
"試してみよう..."
"もしかしたら事態が好転するかも!?"


という思考にもならず、

"そんなの無理、出来ない..."


とだけ言って、自ら他の可能性を放棄してしまい、
ダメだという結果で終わらせてしまおうとする。


そこで何が起こるかというと、


遠くからわざわざ頑張って時間をかけて、
高い飛行機のチケットを買い、
重い思いをして小麦粉を運び、Vに会いに来たムゥの気持ちは...


パンを買えなくてがっかりもした。
しかし、それよりも親しい友達であり、
とても大切な存在だとお互いに認め合っているというのに、
その大切な友達の訪問と目的の為に心地良く過ごせる様に
対策をせずに...


"あら、50人目までに間に合わなかったのね..."
"でも、ルールは50人目までだからしょうがないわね..."


"う〜ん、でもムゥはすごくがっかりしているみたい..."
"どうしよう!? もしかしたら怒ってる!?"


この時点で思考停止状態に陥っている!?


そして、ムゥが起こったり、がっかりしているのも嫌だけど、
それをどうしたら良いかよくわからないし、
必死に考えているだけでもすごく疲れてしまって、
考えるのさえ嫌になってくる...だから何もしない。


V→何もしない事でさらに余計な失敗をしないで済む


でも、それで放置されたままの状態の私は、
より落胆してしまうし、

"本当に私達って、親しい友達なの!?"
"親しい友達に対して、そういう態度は取らないだろう!?"


となる。


要するに、"何もしなかった"事が
実際には、"火に油を注ぐ"状態になってしまったって事。


なぜそういう事態になってしまうか!?
ここの所が分かり難いのかも知れないね!?


実際にパンを買えなかった事は残念。
でも、パンを買えなかった事よりも、
パンを買う時(手に入れる)と買えなかった時に
Vが何も対応してくれなかった事をより残念に感じる。


どうしてもパンをムゥの為に確保するのが無理なら、


"ゴメンね、パンは無理なんだけど..."
"今晩は、ムゥの大好きな料理を作るから!!!"
"代わりにレストランへ行って美味しい物を食べよう!!"


そういう代案的な事があれば、
私自身(ムゥ)は、子供じゃないから、
いつまでもパンを買えなかった事で落ち込んではいない。

結局、Vの思考がそこで停止してしまい。

"パンを買えなかった。食べさせてあげられなかった..."

その事実だけが放置状態となってしまい、
それで0か100状態の極端な考え方で、


"上手く行かなかったら、もうダメ..."


と全て放棄してしまうんだろうな...


残念ながらこれまでこういった状況で"成功体験"
というのがほとんど無くて、
これまで元夫や他にVと上手く行かなかった人達は
代案を一緒に考えてみるとか、状況を説明したりっていうのは、
一切していなかったと思うし、
あとは、残念ながらV自身も対人関係で相手を見る時には、
表面的なものだけで、その人の本質的なものはほぼ見えていないから、
何かあった時にVが理解しやすい様に状況を噛み砕いて
丁寧に説明してくれる人もいなかっただろう。


経験として無ければ、想像力があまり無いタイプの人は、
他にも方法、選択肢があるなんて知る術も無いだろうし...


突飛も無い例えだけど...
私はコンタクトも使用しているんだけど、
生まれて初めてコンタクトを目に入れようとした時の
あの恐ろしさと気持ち悪さ...

でも、使い慣れてくると、多少の面倒さとか、
コンディションによっては、痛いとか...
そういうのはたまにあるけれど、
視界が広がったり、色々と利点も多いので気にならなくなる。


どうしても、


"怖いから嫌だ! 痛いから嫌!!"


それがどれだけ便利で役に立つかを知らなければ、
それまでの自分の失敗経験のイメージの方が強くて、
とてもじゃないけど新しい事には怖過ぎて挑戦出来ないって
いう気持ちもわからないでもないかな...


しかしだ、これまで私とVの間では、
いつもここの部分で立ち止まって身動き取れなくなる。


私の方が、


"そういうもの..."
"悪気は無いし、出来ないのだから仕方が無い..."



そうやって流してしまった方が良い時もあるのは
わかってはいるが...

でも、全部が全部ってわけにはいかないよな。


で、自分は何が一番嫌かって考えてみると...


私がV関係で何か一生懸命やっていたとしても、


"優先順位をすっ飛ばされて他を優先される事"


そういうのに一番不快感を感じるって事もわかった。


ま、Vの方でも今、この瞬間に、

"ムゥの対応をしなくちゃ..."

と思っていても、

"ムゥも大変な思いをして手伝ってくれているのだから..."

と理解していたとしても、


次の瞬間に子供とか、日頃見慣れた人達、
或いは、非常に印象の強い人、出来事に出くわすと、
せっかく、こちらに対してちゃんと対応しようとしていた事が
Vの意識、記憶から押し出されて落ちてしまう。


そして、気がついたら、


"ムゥがムッとしていた..."


しかも、その間の出来事は、
子供が声をかけて来たから、その対応をして...
やる事をやっているのに何が悪いんだろう!?

"あぁ、ムゥは怒っている...嫌だな..."


あ、別に私がVの頭の中とか、心の中に入って
Vの気持ちを見たわけでも何でもないんだけどね...(爆

だけど、これまでずっと長い間、時間をかけて他の誰よりも
Vの事を見て来て...反応の仕方とか、所々で彼女から発せられる
小さなヒントの積み重ねから、こういう風に私は理解している。


ここまで書いていて、思ったのは...
なるべく公私混同的状況にならない様にした方が良いのかも。
で、ベストな状況は、初めから販売用の50斤は、
お客さん用として、いつも通りに焼き、
ムゥ用に1斤、2斤は別に焼いたりして確保しておく。


でも、何で問題が起こるか!?
って言うと...


その1斤、2斤余分に焼く為には、いつもより早めに焼くか...
全部焼いた後に別に焼く...
本来は、定型的には、親しい友達が海外からわざわざ来てくれる
わけだから、その位の努力は出来ると解釈しがちなのだが...


Vとかは、その方法がある事とか...
あとは、そういったいつもと違う事は、
毎日のルーティンに反するからしたくないって思考に
なっちゃうんだろうね...!?


それでも、ムゥには機嫌良く、気持ち良く帰って欲しい...


"そりゃ、ちょっと無理だろう〜!?"


と、結局いつも行き着く所はこの認識のズレ


こちらの言い分とすれば...

パン屋さんに行って、パンを買いたければ、
そのパンの料金を払わないといけない。
料金を払いたくなければ、パンは買えない。
通常は誰もタダではパンを与えてはくれない。

友情は品物の売買とは違うけれど、
その人と良い友達になりたければ...
自分と相手の両方が努力をしないといけない。
問題が生じたら、双方で相談して、時には譲り合い...

何を今更って感じだけど...

結局、この相互関係、認識が大きくズレてしまい、
一方的に負担等が偏ってしまうからバランスが悪くなる。
元々良い具合にバランスを取るのが難しくても...と、
なるべく相手方の負担にならない様な方法が良いのかも!?って、
ある意味譲歩した形でいると、それが当たり前と定着して、
さらに...という状況へ...


本当に少しずつ、何か感触としては、
良い感じになってきた!?と感じられる所があり、
それがあるからこそ続けていられるのだけど、
やはり、ぶつかるのはいつも同じ箇所。


本当に難しいな...と思う。


今日はものすごい長文となってしまった。



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Comment

正しくそうです

パンの例え、怖いほど解ります。というかその通りです。
何か、ムゥさんと私は全く違う人間なのに、まるで自分の話のようです。いつもそうですが。
こちらが手間や時間やお金をかけて、材料などを用意して、果てしない労力を費やして、全てサポートしてるのに、通りすがりの客と同じかそれ以下の扱い。しかも、「パンよりも本人に会いたい」という人間的な感情を汲む余地は無し。それでも(悪気がないので)文句も言えない。
まともで居られますか、これ。「私たち」には通じますが、ASの存在を知らない所謂「普通の人」が聞いたら狂気の沙汰です、ほんとに。信じられない話ですよ、きっと。
尽くしまくるつもりは無くても、物理的に何かを進めようとすると、合わせざるを得なくなり、どうしてもそうなってしまうのです。

伽羅様

伽羅さん、こんにちは!

コメントをありがとうございました。

あらためて色々考えましたが、
伽羅さんも仰られている通り...
残念ながら、関係性の中でパターンとして、
"搾取される側と搾取する側"の様な構図が出来上がって
しまっている様にしか思えません。

それは、私たちの側からすれば、
決してそういう状況を望んでいるわけではないし、
色々と難しい事はあるかも知れないけど、
少しでも事態が好転してくれたら...
そして、実際にごく僅かながらでも何か変化が見られる。
もちろん、急激に好転する事はそうそう無いだろうけど...と。

一方、Vとも本当に悪気は無い。
わざと相手を苦しめる様な事をしたいわけではない。
そういうのは、こちらでもわかっている部分は
あるけれど、その度合いがこちらのキャパを超えてしまう。
そして、V達のキャパも...

特に小さい頃から療育などを受け、パターンとしてでも、
ある程度の社会生活を送れる様にサポートを受けて来た人と、
自分の特性自体を認識出来ずに、マイルールが正しいと
思い込んでいる傾向の強い人とは、やはり素人には対応として
非常に高い壁になってしまうのでしょうね...

常に堂々巡りの様な状態に陥ってしまい、
なかなか抜本的な解決策を講じられない事から来る
大きな疲労感...

誰が悪い、何が悪いというものでもなく...

「そういうのがカサンドラなんだよ...」
と言われても、実際に何か関わりがある中では、
それよりも何か良い方法があったら教えて欲しい、
そんな気持ちになります。

ただ、私の場合は"本当にもうダメだ..."となれば、
何とか自分で終止符は打てる状況ではありますから、
ご家族やパートナーの方達のご苦労とは比較には
ならないかも知れません。

いつも本当にありがとうございます。

伽羅様

追伸

"搾取する側とされる側"の構図にかんして、
言葉足らずで誤解を生んでしまうといけないので...

状況的には、どちらも両方になり得る事があり、
でも、双方共本来は、望んでいるわけでもなく、
意図的にそうしているわけではない。
なのに、ボタンのかけ違いが大きく起こってしまう。
ある意味何かの悲劇の様に...

そんな現実があるんですね...
なかなか上手く表現出来ませんが。
気になって追記させて頂きました。
Secre

プロフィール

ムゥ

Author:ムゥ
自分にとってとても大切な人、友人。知り合った時には気づかなかったけど、彼女は自閉症スペクトラムの傾向が強く...親しくなるにつれて苦悩の日々が続く様に。毎日試行錯誤を続けています。一人で悩むのもかなり辛く色々と情報交換等が出来たら嬉しいです。よろしくお願いします。

*表現・その他に関して細心の注意を払うつもりですが、まだわからない事等も多く至らない点も多いかと思いますが、ご理解頂ければ助かります。

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